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備忘録

話数単位で選ぶ2020年TVアニメ10選

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媒体をもったら一度やってみたかったのが毎年恒例の「話数単位」。前任から引き継いだaninadoさん(https://aninado.com/archives/2020/11/30/481/)の記述によれば、ルールは「2020年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定」「1作品につき上限1話」「順位は付けない」とのことで、これに準拠する。ただし「作品」という価値尺度があるなかをあくまで個々の挿話「だけ」を選択するのにはやはり相応の根拠も必要だとは(個人的な信条として)思う。そうなると「その挿話」という「部分」が準拠する作品全体との照応関係などもまた要になってくるはず。すぐれた作品全体をあらわすみごとな象徴となっているような一話、あるいは逆に、ほんらい均整のとれた作品全体のなかで唯一の例外として異光をはなっているような一話、もしくはトータルでみればおよそ不完全燃焼ともみえた作品全体を、その挿話の存在によってもろとも救済しえているような一話――等々、多くは作品全体、あるいはそれに準ずるなんらかにたいする「特異点」として機能するべきたぐいのものになるのではないか。ということでフェイバリットな作品全体のことも概観しつつ、さらにその特異点となるような話数を以下に選んだつもりだ(とかいって実際にはおもくそルール違反のものもあるので、まあ、それじたいリストにおけるひとつの特異点だと思っていただければ……)。

 


ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第1話「はじまりのトキメキ」

脚本:田中仁 絵コンテ:河村智之 演出:ほりうちゆうや 作画監督:尾尻進矢、粕川みゆき、菅野智之 ダンスパート作画監督:横田拓己、冨岡寛 総作画監督:横田拓己、冨岡寛、吉岡毅


今年はこれ一本あればいいかもしれない――そうとまで思わせる珠玉の一話が『ラブライブ!』シリーズから現れたことのうれしさときたらない。ベンチではいつもふたり横ならんで座り、食べるものはかならず「半分こ」、マンションすらもとなり部屋と「横ならび」の関係性に終始する侑と歩夢、幼馴染ふたりの日常を反復描写でていねいにつづったのち、階段の高低差を利用した「ステージ」へと歩夢が踏み込むラストシーンでそれらを一気に「踏破」する――その「差異が産出される瞬間」を絶対にのがすまいという姿勢がとにかくすばらしかった。従来の並行関係は見る者と見られる者の高低差へ、手を引かれる側だった歩夢はいまやみずから侑の手を取り、黙していた日々を脱し堰を切ったように言葉があふれだす――「わたし、好きなの!」/「わたしの夢を、一緒にみてくれる?」。その「告白」の真摯さにひたすら泣く。なによりうつくしいのは「見立て」だ――「あなた」の「擬人化」でもある侑にたいする、恋情ともみまがう歩夢の想いのつよさにくわえ、近未来的な生硬さがときに神殿のような崇高を帯びるお台場の風景、そうして学校へ「見立て」られたビッグサイトのどこまでも虚構然とした佇まいもあいまって、つづけざま虚構のライブシーンへとなだれ込んでいく奇跡的な一連ともども、どこまでもフィクションへの愛に充ちた完璧な構成の一話だったと思う。
文字通り中須かすみを中心として、それぞれの人物たちの行動・役割を前後左右の構図性へ配分、みごとな「交通整理」をおこないながらの群像劇を展開した2話「Cutest♡ガール」、スクールアイドルの化身・優木せつ菜が拘泥し連発する「ラブライブ(という大会)」の語が、「ラブライブ(というシリーズ)」への自己言及ともなり(随所にみられた周到な無印オマージュにも舌を巻いた――本気でシリーズを建て直そうという気概だろう)、そこからの離反が逆説的な「神降ろし」を可能にする――恩寵のように降り注ぐ太陽光、直後おこなわれるライブパート演出=京極尚彦――3話「大好きを叫ぶ」と、群像劇的な強度をもっていた序盤以降の「当番回」乱打で物語はいくぶん弛緩してしまうし(例外は8話、虚構内虚構が最後に脱臼されることで虚実を併せ呑んだ「現実としての演劇」が顕現する「しずく、モノクローム」)、侑と歩夢を介して『リズと青い鳥』よろしい「幼年期の終わり」をえがこうという終盤の意欲も買いたいが、やはりパワーダウンはいなめず――それでも、なお一話~三話の強度が作品全体を救抜してもいて、かつて無印に「狂った」身の(しごくどうでもいい)郷愁などは度外視しても、いやおうなく愛さずにはいられない作品になっていることがとにかくうれしい。二期も、是非。

 


かぐや様は告らせたい?~天才たちの恋愛心理戦~』第9話「そして石上優は目を閉じた(2)」「かぐや様は触りたい」「かぐや様は断らない」

脚本:中西やすひろ 絵コンテ:畠山守 演出:愛敬亮太 作画監督:川崎玲奈、山崎浩総作画監督:山口仁七、矢向宏志


なんでかこの作品にかぎっては毎回「悔しい」と感じてしまうのだが(異性愛だからか?)、とにかく面白くて仕方なかったアニメといえばやはりコレ。画面の高速展開により次から次へと繰り出されるギャグとパロディのつるべ打ち、おびただしい演出の手数と「勢い」そのものが笑いに化けていく衝撃があって、馬鹿力でぶん殴られつづけながら痙攣的に爆笑しているようなわけのわからない状態に毎度まんまと持っていかれる。悔しい。かぐやと御行の「恋愛心理戦」はそのままスクリューボールコメディそのものの作法だが(実写畑の作り手はこれをみて嫉妬しないのかといつも思う)、一期と比すると生徒会室での室内劇を逸脱する挿話もいくぶん増え、またかぐやの御行にたいする恋愛感情のかんぜんな萌芽もあって作品組成じたいが微妙に変化してきた機運も感じた。そこへ生徒会の卒業と再選挙、新キャラ・伊井野ミコの登場、また終盤では石上会計の過去がフィーチャーされるエピソードなども数話またいで展開され、盛りだくさんながらワンクール全体の調和もととのったあいかわらず完成度のたかい作品となっていた印象だ。
それにしても監督・畠山守は生まじめな演出家だと思う。最終話付近にかならず「終わり然とした」エピソードを配置するていねいさもそうだが(これは金崎貴臣『プリコネR』にも感じたことだが、個人的な好みでいうと、ギャグアニメの幕引きは全員もっと『邪神ちゃんドロップキック’』くらい雑でいい)、そのまじめさが最大限に発揮されたのがやはり11話だろう。クールまたぎで周到に張った石上会計の過去にまつわる伏線がここで爆発、ドアを蹴破り手を差しのべる御行の内破力がそこへブーストをかけ、尋常ならざるエモーションを獲得していた屈指の挿話だ。いっけん狂っているようで本質は実直、かつ圧倒的な力による「ゴリ圧し」が作品の要だという点で、作品そのものを代表する一話として選出にはふさわしい……と、頭では考えつつ、かんぜんな好みでその手前、謎の『スクール☆ウォーズ』パロディにはじまりライティングもテクスチャーも画面サイズもギャンギャン変形しまくる画面と無駄に動きがぜいたくなかぐやのやはり謎な「ヴォーグ」ルーティーン探しや格ゲー風画面、そうしてこちらも数話越しの積みかさねが奏功したミコの「入室キャンセル」で笑い死にさせられそうになった9話をチョイスした。キレッキレの畠山コンテの暴れっぷり(演出は愛敬亮太――今年はこの方の名前をかなりたくさんみた気がする)がとにかく気持ちよく、とりわけお気に入りの一話だ。

 


ゴールデンカムイ』第三十三話「革命家」

脚本:吉永亜矢 絵コンテ・演出:熊膳貴志 作画監督:山田正樹、赤坂俊士、総作画監督:梅津茜、宮西多麻子


原作からしてすでに「勝負」の局面だったのだろうが、それにしても三期の熱気には尋常ならざるものがあった。作画はいくぶんリッチに、それでいて活劇のかろやかさもそこなわず、物語じたいのおもしろさも推進力となりとにかく魅せる魅せる。ギャグとシリアス、笑いと暴力の不可分に融けあった闇鍋ならぬ「闇ラッコ鍋」スタイルがやはり本作の懐刀だろうが、三期の洗練された恬淡な語りがさらにそこへ静/動の混淆をも印象させ(三十話、スナイパー対決における尾形の「一瞬の勝利」)、深さ/浅さの境界をあいまいにし(画の平坦さに比したベテラン声優陣の熱演模様)、ひいては速さ/遅さまでも弁別不能にし無時間的なカタルシスへといたる驚異――この比類ない体感に毎話のめり込んでしまう。そのもろもろ混ざった同居性はむろん敵味方の無分別やアイヌとの共存や「食」や「変態」の主題ともほうぼうで呼応しあう――などとも思うのだがそんなことはもはやどうでもよく、とにかくこんなにおもしろくていいのかというのがなにより問題。杉元一行がアシリパたちを追うチェイスの一連にワンシーズンを割いたことで全体にひとつの物語としてグッと引き締まったのも成功の一因だったのだろう(サスペンスのピークと帰結が流氷上というのもどこまでもドラマチックだった――『東への道』か?)。「闇鍋」というか「闇ギョーザ」度合でいけば「カワイイ・グランギニョル」とでも形容したくなる暴力と愛嬌、稠密な背景作画とパペット的なCGの絶妙な配合・配剤がひかった『ドロヘドロ』とツートップだろうか。
三度の登板となった安藤真裕絵コンテ回の強度がいずれも一気呵成ですばらしく(爆笑とエモーションの洪水でほとんど気がふれそうになる「バーニャ!」の二十六話「スチェンカ」、サーカスでのバカ騒ぎに笑い鮮烈な痛覚の表現に戦慄する二十八話「不死身の杉元ハラキリショー」、そうして本期随一のペシミズムと老獪な剣戟がめざましかった三十二話「人斬り」)選出を迷ったのだが、やはり物語的にも衝撃度が高く、絵コンテ・演出=熊膳貴志の静謐な演出がひかった三十三話の余韻を最優先した。緊密なカット連関と視線劇がつむぐサスペンス、倒立した写真機内の像と手配写真がいろどる「偽装」をめぐるドラマ、三者三様の人物様態を言葉すくなに語りきる活劇シークエンス(クレバーでドライなウイルクの無気味な挙動と無表情が怖気をふるい、たいするソフィアの「情」も際立つ、このみごとな対照)、「誤射」場面の息を呑むフェイントと呼吸の妙、そしてラスト、「存在しない回想のつづき」……それにしてもあのどんでん返しにはほんとうにぶったまげた(中野泰佑という名前はたしかに記憶へきざんだ――ここまで人物の同一性不安に恐慌をおぼえたのはひさしぶりだ)。ヒッチコックというよりはドン・シーゲルのように渇いた体感にとにかく震撼した一本。今年であれば「お見事!」の一声はむしろこの挿話にふさわしいだろう。

 


魔法科高校の劣等生 来訪者編』第2話「来訪者編 Ⅱ」

脚本:中本宗応 絵コンテ・演出・作画監督高岡じゅんいち 総作画監督:石田可奈


一話冒頭から引用される『DARKER THAN BLACK黒の契約者』の記憶に姿勢を正された視聴者は多かったのではないか。今度のお兄様はひと味違う――劇場版から続投した監督・吉田りさこの辣腕がひかり、一期同様ラノベ原作のプログラムピクチャーめいた雑多さを維持しつつ、光と影の明暗対比がうつくしいぜいたくな画面構成と、経済的な語りや活劇がかしこで展開される満足度のきわめてたかい逸品となっていた。主人公・司波達也特異点としてえがきだす政策が明瞭で、同系統の作品に特有のストレスがすくないのも美点だ(くしくも同クールにもうひとり「最強の中村悠一」を擁する『呪術廻戦』もあったが)。反面、やはりラノベチックな「茶番」や「お約束」も忘れず、ところが随所で主題とも共鳴する重要な演出を盛り込む余裕をもみせ――たとえば敵・パラサイトの存在が印象づける魂/肉体の二元論は、画面的にはエフェクトのうつくしい魔法の光とノワーリッシュな闇のキアロスクーロにあらわれ、さらに深雪やほのかの達也への思慕(=「魂」的なもの)とも共鳴しあうし(バレンタインのエピソードが主題にも架橋するみごとさ)、ほんとうは等身大の高校生の身で「仮面」をつけエージェントに甘んじるリーナの「仮面/実体」の二元性とも、ひいてはそれとよく似た境遇の達也本人とも呼応しあう(だとすれば、魂に比する肉体性/仮面にたいする内奥を裸身で印象づける達也のシャワーシーンすら、演出の一環だったのではないかとまで……いや、さすがにこれはパラノイアか)――とにかくどこまでも(お兄様のように)抜け目ない二期だったように思う。
なかでも異様なまでの妖気をはなっていた二話を選出した。リッチな陰影と色気ある夜の闇と、そこにうかびあがる無気味にえがかれた敵・パラサイトの造形がいずれもすばらしく、画面全体にいきわたったノワールな雰囲気にまずはうっとりしてしまう。とりわけパラサイトを前後方から挟み撃ちする、直線上での戦闘シーンのひたすらな格好良さ。さらに顎までうごかす余力にみちた発話時の口パク作画が(なかば「無気味なもの」的に)いちめんにたちこめる不穏な空気と緊張感を醸成する一助とすらなっていて、Bパートは説明主体となった画面をまったく弛緩させない(Aパートに戦闘を割き、Bパートは丸ごと説明というアンバランスさもすごいが)。ときにおどろくような大胆さでカットを割る余裕もしのばせ(病室からエレベーター内への大胆なカット連関にはとくに息を呑んだ――相当な映画への造詣のふかさを感じた細部だったが、これは絵コンテ・演出=高岡じゅんいちの嗜好なのだろうか)、作画的なぜいたくさと「語り」そのものへの意識の高さに、とにかくうならされた一本だった。

 


『ID:INVADED イド:インヴェイデッド』FILE:06「CIRCLED 円環の世界」

脚本:舞城王太郎 絵コンテ:久保田雄大 演出:久保田雄大、栗山貴行 作画監督:浅利歩惟、豆塚あす香


ざっくりレビューのようなものは以前挙げたので割愛するが(ほんとうに拙いものでたいしたこと書いてないが)、どこまでもミステリの骨法に淫したストーリーテリングとソリッドなレイアウトを重視した「徴候的な」画面構成がすばらしい、とにかく格好良くて毎週が愉しみだったアニメ。監督・あおきえいの得手と当人がやりたい方向性の(久方ぶりの?)合致にくわえ、脚本・舞城王太郎の作家性がみごとそこへブーストをかけ、オリジナルアニメとしては中々のスマッシュヒットになったのではないか。舞城の卓越したシリーズ構成の手腕には脱帽。それにしても今作の出来をみるにつけ、アニメ業界もどんどん異業種の脚本家を取り入れていくべきだとはつくづく思う(その点、来年の目玉は円城塔が脚本を担当した『ゴジラS.P〈シンギュラポイント〉』だろうか)。
上述の記事内で「砂漠のイド」前後の挿話にはふれたので、ここでは作中屈指のメランコリーを露光し、それじたいが物語全体の「空虚な中心」たりえていたFILE:06「CIRCLED 円環の世界」をチョイス。本堂町対数田の息を呑む帰結にはじまり、同僚の葬式と「喪」の主題が連鎖、イド内における井波/数田の視線のリフレクト、電車のイドのアンチ・ミステリ的な全貌があかされるとともに襲いくる虚脱感に、それと対比される松岡と本堂町の離別(その「穴」の所在をあかすように画面向こうで尾を引く飛行機雲)……いずれの徴候も作品全体へふかく翳を落とす鬱屈の根源たりえる力を遺憾なく発散していて、ここで「穴」の主題が――針の「穴」に糸をとおし、諸項を連鎖させるようにして――「円環」へとスライドされた点でもなお象徴的な挿話だろう。この円環はさながら「土星の環」。全編が「探偵」による解釈を待つ寓喩的な星座と化していた物語空間および画面にあって、まさに本話こそが宇宙空間の特異点をなす「穴」となりえていたように思う。

 


『ミュークルドリーミー』第28話「まいらマイラブ♡」

脚本:金杉弘子 絵コンテ:桜井弘明 演出:石田美由紀 作画監督:大木良一、坂本哲也、古木舞


なにを置いても忘れてはならない本年度指折りの傑作がやはりコレだろう。隅から隅までぎゅうぎゅうに詰め込まれた台詞、とにかくゆたかすぎる動きが画面いちめんにひしめき、一瞬たりとも目を離すスキのないもはや言語化不能な面白さに貫かれたとにかく愉しいとしかいいようのないそれじたい夢のようなアニメ。体感自体はどこまでもかろやかでスルスル観れるのに毎話「まだAパートだったの!?」と困惑してしまうこの圧倒的なカロリー供給量がヤバい。形式そのものはあくまでキッズアニメの作法に忠実、なのにそこからあぶれた余白にこれでもかとギャグをぶち込んできたり「お約束」を最大限に「悪用」しとにかくアソビ倒してくるのだからとんでもない。折り紙でたとえるなら――『襞』ではないけど――「鶴を折ってください」という課題にたいし、折られた鶴の羽根からもう一羽小さい折り鶴が生えてきてるだとか、あるいは折り鶴の羽根の小さな余白部分にどうやって描いたのか漫画が連載されているだとか、かと思えば折り紙を一回折っただけの三角形を急に「折り鶴」と呼び始めるような、そんな感じのデタラメさ(信じられないくらい伝わらないたとえ)。こういう作品に出会うたびゴダールとかピンチョンとかみんな本質的にはコメディ作家なのだろうなとつくづく思う。そんなてんやわんやの中で杉山先輩の「闇」にせまるエピソードをはじめ物語そのものもしごく真っ当に展開していけるのだからどこまでも侮れないアニメだ。
全体的に良い作品という印象なので傑出した一話を選出すること自体がナンセンスな気はしなくもないが、あえてという話になるとやはり28話「まいらマイラブ♡」(たぶんこの企画の中でいちばん推薦する人が多いのではないかと勝手に予測しているのだが)。突出しているから良いというよりは、むしろ普通の作品だったら素直に特異点と置くような「死」という出来事を、あくまで他の挿話と同等のトーンで扱う点に作品のスタンスがはっきりあらわれていて、かつ、それがまいらというキャラクターの魅力の過不足ない説明ともなっているものだから、視聴者としてはかえって催涙性がたかめらてしまうという、どこまでも強くやさしい逆説に裏打ちされた挿話。「夢」というテーマのみごとな操作にしても、悲哀や寂寥というより幸福そのものの結晶としか呼びようのないあのひとしずくをしずかにとらえたあまりにもみごとなラストカットにしても忘れがたい細部しかない一話だったが、もはやなにを口にしても野暮になってしまうというか、これを目の前にするとただ押しだまりうなずくしかないようなとにかく言葉の非力を痛感する一話でもあったりする。

 


『Lapis Re:LiGHTs ラピスリライツ』Ⅵ「Ruin Explorers」

脚本:土田霞、あさのハジメ 絵コンテ:武市直子、畑博之 演出:武市直子 作画監督:應地千晶、橋本有加、池上たろう


今年でも一、二を争うくらい幸福度の高かった作品。フォーマットじたいはあくまでふつうのソシャゲ/アイドルアニメで、むずかしいことはなにもやっていないのだが、ただ、カメラがある。各ショット、画角へ人物をどのように配剤するかの、逐一周到な目配せがある。必要なぶんだけカットを割り、それにより空間を立ちあげ、ドラマを各人物へ配分・構築してゆく機微がある……ほんとうにただそれだけだ。それだけのことが過不足なくできているアニメをワンクールきっかりみられることの至福。どこまでも落ちついたセリフやアクションの間の取り方、音響への気配り、オフや画面外への意識がとにかくゆきとどいていて、そこに拡がる世界そのもののゆたかさをけっして捨象しない、慈愛と職人技にみちた手つきがとにかく心地いい(メイン五人がロビーで会話している場面だけで延々みていられる)。物語じたいも感傷にはふりきらず、いずれのエピソードも「やさしく」着地する帰結をそなえていて、その過程で数のおおいキャラクターの弁別が徐々にできてゆく実感がまたうれしく、かえすがえすもアニメをみることの愉しさにみちみちた作品だった(続編も是非)。おなじくソシャゲ原作、本作と同様の「世界そのものへふれるよろこび」をたたえた、「ビッグバジェットだがプログラムピクチャー、それでいて監督のプライベートフィルム」とでもいうべきやたら矛盾した印象をともなっていた『プリンセスコネクト!Re:DIVE』のとなりにならべておきたい気持ちも。
まんべんなくよいアニメだったので一話だけ選抜するのは難儀。路地を「ひらいて」ゆきながら展開されるチェイスが愉しい2話、アンジェリカとルキフェルのコンビが好きなので5話、伝説のグループ・Rayの過去が語られる(あとアンジェリカも最高のかたちでフィーチャーされる)8話、トンチキすぎるアシュレイの虫歯のマクガフィンがとにかく気になる(あとアンジェリカとルキフェルが好きなので)9話、そうして各ユニットがメドレーで展開するオルケストラが過不足なく最終決戦のエモーションと親和していた集大成的な12話……と、あれこれ悩んだ末、6話のホラー回をチョイスした。Ⅳ KLOREのふたりを軸に間歇するギャグがとにかくたのしいが(エミリアとあるふぁの温度差がほんとうにいい)、ところどころの演出は意外とホラーの文法に忠実、そのため雨音や赤ん坊の泣き声といった音響への意識や、意表をつくカットの割り方など、本作の演出の練度が比較的わかりやすい挿話にもなっている。とりわけティアラが戸の割れ間から顔をのぞかせる瞬間、にわかに空間が接続される感覚のすばらしさときたら。道中さんざん「顔芸」を披露していたエミリアのやさしさに最後は丸くおさまり、エンディングで大団円のライブに突入するどこまでも気の利いた物語展開も◎。それにしても、つくづくいいアニメだ。

 


『ぶらどらぶ』Episode 01(特別篇)"Vampire Girl, Bloody Excited"

脚本:押井守 絵コンテ:西村純二 演出:浜田翔太 作画監督:清水勝祐、川添亜希子、今里佳子、中村和代、大久保義之 総作画監督:青野厚司(※英語表記のクレジットから判断したので、間違えてたらゴメンナサイ)


作品単位も兼ねるといっておきながら一話しか放映していない(しかもwebだし)例外を入れるのは正直自分でもどうかと思うのだが、よかったのでつい選出してしまった。御大のギャグセンスについては専門家にゆだねるとして、はてしなく見覚えしかないアバンにはじまり景気のいい献血バス爆破、そこからの会話劇をキレキレの画面処理でテンポよくみせる一連にひたすら恍惚した第一話。近年では安藤正臣監督が多用しているような漫画のコマ割りふうの分割画面が最大の武器で、ただし「割る」ことによる平面的なテンポの構築にとどまらず、ひとりの人物の同一アクションを「1カメ、2カメ」的に二分したり、割った画面の後方で割られる前の画面も動かし奥行きをつくっていたりと、「動きの創出」そのものに焦点がある点が差異か(とりわけマイが貢を押し倒すシーンには驚愕した)。ギャグアニメにふさわしい「呼吸」。I.G.のガチ作画そのものをギャグにしてしまうぜいたくさも良い。百合についてはムーブメントへの殴り込みというより世相を鑑みての判断という印象がいくぶんつよく、ほんとうに文字通り「中身オッサン」な主人公・貢の「居直り」を周到に察知した佐倉綾音の知的で嫌味ない演技も見物。とはいえ上記の特徴が真に作品の「文法」となりうるかはまだ不明だし以降の展開でコケる可能性も充分ありうるが、まあ、そのときはそのときで。
尺があまったので今年印象的だった百合アニメを振りかえっておく。『アサルトリリィ BOUQUET』は毎週ボンヤリみはじめても一か所はかならず目を引く箇所があらわれるアニメで(8話の結梨の戦闘シーンだとか)、『マギレコ』放送年に同スタジオがこんなにオールドスクール(?)な「魔法少女モノ(の変奏)」をやっていることのいびつさにくわえ、アンバランスなシリーズ構成も妙に愛嬌があって気に入ってしまった作品。みんな大好き楓・J・ヌーベルの作劇的恵まれっぷりがとにかく良く、その意味ではやはり10話がベストか(遠藤亜羅椰にももっと暴れてほしかったが)。共感性羞恥に苦しみながら完走した『安達としまむら』はピンポンから宇宙へ架橋する寓喩的な演出が全編とおし興味ぶかく(ただし台詞の質感などからみてその演出プランが原作の翻案として正解だったかには若干の疑問もアリ)、天才・鬼頭明里にくわえ鬼才・茅野愛衣――安易に「佐伯沙弥香ポジ」へあてがう「邪悪さ」は✖――までもが後半名を連ねるとそれだけでじゅうぶんお釣りのくる一本になってはいた印象。およそ「熱演」とは無縁の知的な低体温演技を貫徹する鬼頭明里は『虚構推理』で発揮したプレゼンスともども間違いなく今年の女優賞。なお鬼頭明里は来年『シャドーハウス』、茅野愛衣は『裏世界ピクニック』がすでにひかえていて、なにとはいわないがこれも「正しい」。話数単位で印象的だったのは『プリコネR』8話。宮澤伊織「風景としての百合」に対抗(?)して「活劇としての百合」を個人的には提唱していきたい。

 


ハイキュー!! TO THE TOP』第16話「失恋」

脚本:岸本卓 絵コンテ:仲澤慎太郎 演出:堀内勇治 作画監督:折井一雅、鈴木絵万 アクション作画監督:佐藤由紀 総作画監督:小林祐


ハイキュー!! TO THE TOP』の1クール目にはとにかく困惑させられた。三期までのあの爽快感がないのだ。満仲勤から佐藤雅子へと監督はじめメインスタッフの異同があったのは知悉していたが、それにしてもシリーズ最大の美点ともいえるあの透明性や祝祭性がいくぶんなりをひそめていて、視聴当時はひたすら困惑のほうがまさってしまった。同様の想いをいだいたファンによっては作画を批判する向きも多かったようだが、むしろ作画じたいは以前より緻密さを増しているようにもみえ、ただ、細部が絶妙に噛み合わない――「相手チームがサーブした直後の自陣のリアクションがワンカットぶん足りない」とか「このショットはカメラの引きが足りない」とか、たぶんその程度のものなのだが――その微妙な差異のせいでエモーションが熱を帯びきれないのだ(たぶん作画への非難も、彼らなりに違和感の根源をさぐった結果、言いあぐねて「作画」という語彙が出ただけだったのだろうが)。最終13話はソリッドでカッコいい着地とみえたが、それでもまったくの別作品になってしまったような違和感はぬぐえず(なんだか『けいおん!』のような微温性が目立った気がする)、あらためて三期までのめくるめく強度と、そこからバトンを継ぐことの難しさに想いを馳せることになった。
異変が起こったのは明けて2クール目の15話、「作画崩壊」の四文字がツイッターのトレンドに躍ったときだろう。鑑賞しているぶんにはさほど気にならないレベルとはいえ、あの『ハイキュー!!』が「ボールを落とした」――このできごとは個人的にかなり衝撃的だった。ところがあたかもその一件が功を奏し、枷が外れてもろとも身軽になったかのように、直後の16話「失恋」以降、作品はめざましい飛躍をとげる。挿入される過去回想が情動を積みあげ、かろやかでスナップの効いたカッティングが躍動感あふれる活劇をもたらす、あの透明で祝祭性にみちた愛すべき『ハイキュー!!』の体感が帰ってきた――と、そくざに直感した。カットの呼吸、作画の緩急とにかくもみごとで(ラスト、勝負の瞬間ばかり田中龍之介の腕が帯びる「鬼気」――この一点に賭けようという制作陣のスタンスが本挿話のほかならない強度になっている)、タイトル「失恋」のうつくしい回収のありようともども、ひたすら泣かされてしまった回。まさに名誉挽回の一話という印象で、その役目を田中のド根性がになった意味も考えてしまう。直後の音駒回など以降も目を見張る挿話はいくつかあったが、未曾有の病禍という現状もあいまって、あらためてアニメ制作とはバレーよろしい「チーム戦」なのだということを思い知らされた点で、この挿話はとりわけ象徴的だった。

 


日本沈没2020』第6話「コノセカイノオワリ」
脚本:吉高寿男 絵コンテ・演出・作画監督:本間晃


今年の「裏ベスト」。これも粗削りながら以前に記事を出したので全体的な話は割愛するが(やはり大したこと書いてなかった気がするので、スッと消える可能性がある)本年度いちばんの問題作はやはりこれだろう。監督・湯浅政明のアニメーションへの(ある種保守的ともいえる)サイケデリックでアブナイ愛と、どんどん苛烈をきわめてゆく現実世界との折り合わせがどうしようもなくいびつなかたちで達成され錬成されてしまった、大失敗作にして屈指の大傑作――こと本作においてこの両者は矛盾しない。混乱そのものをかたどった狂気の語りのうちに(「日本沈没」を謳っていながら)アメリカ映画の匂いがたちこめ、アニメーションそのものの柔らかさが別様の「記憶」をもかしこで呼びさましてしまい、結果として作品は混迷をきわめた現在時の寓喩そのものとも「なってしまった」。この異形の怪作がいまや「叩いてもいい作品」扱いを受けているというのはなにかの間違いなのではないかと思う――正当な再評価を望む。
作品を象徴する挿話ということでは圧倒的な破壊と震災の記憶がかさなりあった1話や(絵コンテ・演出=和田直也の仕事は特筆に値する)、どこまでも「死が軽く」ほとんど哄笑的ですらあった衝撃のラストシーンが話題になった2話、あるいはそのネガともいえる鎮魂の静謐さをたたえた8話が妥当だと思うが、作中屈指のエモーションによって尋常ならざる強度を獲得していた6話がやはり忘れられず、選出とした。絵コンテ・演出は本間晃、さながらアルドリッチと『映画クレしん』の奇跡的融合とでもいうべき「決死そのもの」な人物たちのドラマとカタストロフの多面的爆発のありようにただただ呆然。作品全体がたたえていた暴力の渇き・軽さと、相反するような熱情のたかまりが最高度で達成された間違いなく本作のベストエピソードだ。どこまでもドライな直線路での銃撃シーンや「彼岸」という主題の処理にもうなるが、やはりあの「グッドラック」の余韻がいつまでも忘れられない。このエモーションをもろとも閑却してしまった劇場再編集版は残念ながら……という感じだったので、ぜひ配信版のほうをみていただければ。

 


妙に収まりの悪い例外を入れるなら素直に『ドロヘドロ』を選出すべきだったかとも思いつつ、どうしても豊作だった秋アニメの印象が強くなってしまったきらいもあり、諸々あって今回はあえて選外(間違ってもMAPPA版『チェンソーマン』への不安がよぎったからとかではない)。ほか印象的だったアニメを挙げると『ダーウィンズゲーム』『邪神ちゃんドロップキック’』『NOBLESSE -ノブレス-』『禍つヴァールハイト』などで、いい感じに「B」の系譜が並ぶ結果に。よって――というのでもないが――上述した一連の作品のいったいどのような部分に惹かれていたのか、いくぶんわかりやすい印象はあると思う(人気漫画原作や二期三期、作家色のつよいものが多くちょっと保守的なきらいはあるけど。その点『ラピスリライツ』のヒットはうれしかった)。惜しむらくはキッズアニメに手をつける余裕がなく(視聴継続していた『プリチャン』までも一旦、視聴を断ってしまった)、やはり抜けは沢山あるだろうなと思うが、そのなかでも偶然みたプチトマト回の衝撃にあわてて『ミュークル』の本放送へ追いつけたのはほんとうに幸いだった。現実はなお混沌としつづけているが、アニメはずっと面白いことをやっている、ので、アニメをみるべきだと思う。来年はやらない。